男女同権と共依存

セクハラと言う言葉が常用され始めて久しいが、そのニュアンスは本当に理解されているのだろうか?もともとハラスメント思想にはウーマンリバティ(ウーマンリブ)に於ける女性解放運動が色濃く陰を落としているのです。男尊女卑思想は体力の差に基づく獣的な思想であり、知的生命体で有る証明には性差別は不適当であると言う主張のもと始められた解放運動なのです。ですが性の異なりが肉体的にある以上、知的生命体同士としての平等はお互いの共依存心理なしで成立しません。男性は女性に身体と心の美を欲しがるし、女性もまた男性に甲斐性と美しさを求めていませんか?

その要求が度を越して強要に奔ると共依存心理の支配欲と言う副作用に陥るものと考えられます。

永きに渡り男性に支配されて来た女性が女性解放運動を起こす気持ちは理解出来ます。ただ、勇み足が異性への支配になってしまえば甲乙入れ替わるだけで何も進歩しない様に感じますね。

共依存心理を能動的に理解して互いの平等を測れる知的生命体でいようではありませんか。